ap bank x ETIC. 右腕派遣プログラム

右腕・リーダーへのインタビュー

全ての若者の社会進出のために、個々に合った仕事を探すサポートを

ユースサポートカレッジ石巻NOTE(宮城県石巻市)
右腕:小澤哲男さん

誰しもが持っている当たり前の権利「まなぶ」「はたらく」ということを軸に、さまざまなプログラムを通して若者の社会進出を促し、未来の東北を背負ってゆく人材を育成する「場」を目指す「ユースサポートカレッジ石巻NOTE」。教員を定年退職され、現在こちらで活動中の小澤哲男さんにお話を伺いました。


右から、「石巻NOTE」スタッフの小元さん、小澤さん、高橋さん、今野さん。

― こちらにいらっしゃってどのくらい経ちましたか?

昨年の八月末に来ましたので、ちょうど八ヶ月になります。

― 右腕になる前にも石巻を訪れたことはあったのでしょうか?

今回が初めてです。仙台にすら来たことがありませんでした。

ただ、震災があった年に夏休みの一週間を利用し、瓦礫撤去のボランティアとして岩手県の山田町に行きました。町の中の瓦礫はかなり片づけられていましたが、ビルを超すような瓦礫の山がまだたくさんあって大変ショックを受けました。それ以後、何か機会があれば東北でボランティア活動がしたいと考えていました。そんな折に「みちのく仕事」に出会い、色々と考えた結果、今だったらまだ私にもできるかもしれないと思い応募しました。

― みちのく仕事のことはどちらで知りましたか?

インターネットです。東北で活動できるプログラムを探していたときに見つけました。

― こちらで担当されているお仕事についてお聞かせください。

週に二回ほど相談日を設けており、その日に合わせて子どもたちがここに相談にやって来るのですが、不登校の問題を抱える中学生や高校生との面談を行っている他、学校の長期休業を利用しての科学実験遊び、PC講座等を実施しています。また、学校やハローワークの就職活動から漏れてしまう子たちに対し、伴走型のきめ細かなサポートをして就職につなげる、有給職場体験プログラム「バイターン」がメインの活動になっていますので、高校生に同行して企業を訪問することもあります。今は年度替わりした時期ですので、石巻地域の高校を訪問し、私たちのプログラムを紹介して回っています。その他、ブログを活用した情報発信も日々の仕事です。

― 学校とのやり取りというのは、教員経験などが無い方にとっては大変ですよね?

大変だと思います。私の場合は中を知っている人間として、学校にアプローチする際には先生方が対応しやすいように道筋を辿りながら進めるように心がけています。
外からの支援を必要としている学校も多いとは思いますが、生徒や教員を守ることを第一に考えなければならないので、なかなか外部の人間を受け入れることができません。その壁を越えることができず、民間団体の支援活動となかなか結びつかないのだと思います。

― 以前は教員として学校に勤務されていたわけですが、現在の活動との違いはありますか?

ほとんど違いますね。学校というのは例えば授業ひとつとっても、全国共通の学習指導要領があって、その大綱に基づいて教科書も作られており、その上で指導の仕方については教員が工夫しながら行っているわけです。ここでは、具体的な仕事なんてあるようでないようなところからスタートします。志を持ちながら、社会的な課題に対してどのようにアプローチしていくのか考え、それを自分たちで仕事にしていくわけですから、学校で働いていた頃とは大きく異なります。

― 実際に働き始めて戸惑ったことはありましたか?

NPOというのは利潤を追求しない仕事なので、なかなか大変だなと感じました。自分たちの生活の保障も考えながら、課題に取り組まなければならないわけですから。この業界の仕組みについてあまりにも知らなかったので、ある種ビジネスとして成立させなければならない面もありながら、同時に社会的な課題を解決していくという、全く新しい世界との出会いでした。

― 教員として接していた子供たちと、現在接している子供たちに違いはありますか?

不登校の問題や発達障がいを抱えていたり、あるいは知的障がいのボーダーであったり、複雑な事情を抱えた子たちがここにやって来ます。支援学校にもなかなか受け入れてもらえないし、支援学級しか受け皿が無いなど、親御さんが大変苦労されている子もいますね。

― 被災地特有の課題だけに向き合っているというわけではないのですね。

はい。直接的に被災と繋がっているケースばかりではありません。

― 被災したことで問題を抱えている子も相談に来るのでしょうか?

例えばですが、現在も仮設住宅に入居していて、障がいを持っているので就職先が見つからないから収入が得られない、学習障がいが疑われるような方の場合は、職場で上手くコミュニケーションが取れず仕事が続かないことが原因で経済的に自立できないなど、さまざまなケースがあります。

― 石巻で生活してみてどうですか?

私は山口県の岩国市出身ですが、石巻と人口もほぼ同じですし、沿岸部の大きな河口流域に発達した街で、日本製紙まであります。ですから街のつくりも似ているなと感じました。
石巻は仙台に次ぐ第二の都市と言われますが、それは単に人口の問題ですよね。この地域にはまだ純朴さが残っていると思います。例えば朝に散歩していたら、地域の方が余所者の私に挨拶をしてくださる。学校を訪問すると、半分くらいの生徒は挨拶してくれる。元教員として感動しました。私自身、働いていた頃には不審者の問題もあり、外では知らない人に挨拶するな、なるべく会話をするなと指導していましたので。

― 長期間お宅を離れることについてご家族からの反対はありませんでしたか?

既に子どもも成人しておりますし、私が何を言っても聞き入れる人間でないことは分かっていますから、「できるなら、やってみたら?」という感じでした。子どもには「家でゆっくりしていたら?」と言われましたが。

― いらっしゃる前はどんな活動になると想像されていましたか?

教員として働いていた頃から不登校の問題には非常に関心がありました。不登校など生活指導に関する全国的な民間研究会があるのですが、そちらにも所属していました。右腕としての活動内容がもし就労支援だけだったら、私の出番ではなかったと思いますが、不登校というキーワードを見つけたことで応募に至りました。

― 右腕としてこちらに来てみてどうでしたか?

こういう機会が無かったらNPOの活動について深く知ることもなかったでしょうし、発災から四年目を迎えた被災地に潜む課題というものについても、移り住んで生活する中でしか見えてこなかったと思います。そういった意味で、私自身にとってはとてもいい経験になりました。

― 「右腕」というのは、どうあるべきものだとお考えですか?

一概にセオリーは無いと思います。団体によっても違うでしょうし。
私に限って言えば、こちらの事務所が昨年の六月末に立ち上がり、その二ヶ月後に派遣されてきましたので、活動そのものが手さぐり状態の時に合流し、具体的な指示があったわけではなく、全てが試行錯誤の連続でした。そんな中でも私の想いを尊重し、受け入れて頂きながら活動することができたので、有難かったなと感じています。

― 現役の教員として働いている方々に何かお伝えしたいことはありますか?

教員が休職して民間団体に入るというのはハードルが高いことだとは思います。しかし、子どもたちが抱える問題に対して真剣に取り組んでいる民間団体があるのだということを、現場の教員に知ってもらいたいという想いがあります。一年間は無理だとしても、学校の教育現場に戻った時に大きな財産になると思います。教員というのは良くも悪くも学校という世界で生きているので、他の世界と繋がれるチャンスがなかなかありませんから。自分から社会体験を求めるということは、教員としての幅を広げるという意味でも大切だと思います。

― これから右腕に応募する方にメッセージをお願いします。

合宿研修でご一緒した方々のほとんどが、大企業に入って、歯車の一つとして働いて、それに疑問を持ったり、方向転換を考えたり、人生を見つめ直したという理由で応募されたようでした。動機はなんであれ、若い人たちが支援活動の最前線に立ち、思い悩みながら過ごすというのは、長い人生の中で大きな意味があるのかなと思います。多くの若い人たちに右腕プログラムを有効に活用して頂いて、現場を体験して頂くのが良いのではないかと思います。

― 派遣期間も残り三ヶ月となりましたが、どのように過ごしたいとお考えですか?

残りの時間をどう過ごすか、という意識はありません。それよりも、こちらの事務所が立ち上がってから二年目を迎えて、去年までの反省を基に見えている課題を漏らすことなく改善していきたいという思いがあります。学校というのは年度単位で人事異動があるものですから、年度初めにしっかり繋いでおくことが大切です。そのあたりもきちんとやっていきたいと考えています。

― 最後に何かお伝えしたいことはありますか?

私のように退職した人間でも十分やっていけますよ、というのを是非お伝えしたいです。評価はあくまで他人がするものですから、健康で元気さえあればチャレンジして頂きたいですね。

教員として培ってこられた経験を生かしながら、石巻の子供たちや教育現場と向き合い、そしてリーダーたちを支えてこられた小澤さん。やさしい表情とやわらかな口調が印象的な方でした。お忙しいところ貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました。

聞き手・文:中村真菜美