ap bank x ETIC. 右腕派遣プログラム

右腕・リーダーへのインタビュー

大槌町の子どもたちのために、全員で同じ方向を見据えて

認定NPO法人カタリバ(宮城県女川町・岩手県大槌町)
右腕:長濱雅徳さん、須貝未菜さん

岩手県大槌町の子どもたちの学ぶ「場」をつくることをミッションとし、2011年12月に準備開校された大槌臨学舎。のどかな田園風景の中に建つ、木の香りに包まれ素敵な校舎。こちらで教務と運営という異なるポジションから現場を支えている、長濱さんと須貝さんにお話を伺いました。

― まずはお二人の自己紹介をお願いできますか?

長濱さん :
出身は沖縄県で高校卒業まで地元で過ごし、その後は神奈川県の大学に通っていました。卒業後は沖縄に戻り、高校の進路指導部の中で就職コーディネーターという仕事に就きました。県からの委託事業で入った会社員という少し珍しい立場でしたが、就職を希望する生徒のサポートを三年間担当した後、ここに来ました。
須貝さん :
山形県出身なので生まれも育ちも東北です。東京の大学に進学しましたが、Uターンして新卒で四年間地元の銀行に勤務していました。三月末に退職してここに来て、現在二年目になります。

― 銀行からの転職だとかなりの変化ですよね?

須貝さん :
全てが違います。働く環境もそうですし、組織も違う、出会う人も違う。全部違うこと尽くし。

― 右腕に応募した具体的なきっかけはあったのでしょうか?

須貝さん :
自分はこの仕事をずっと続けていて良いのか悩んでいた時期で、何か新しいことが出来るのは今の年齢ではないかと思ったんです。そんな時に「みちのく仕事」を見つけて、翌日の説明会が仙台だったこともあり行ってみました。コラボ・スクールのスタッフが登壇しているのを見て、同年代が被災地でがむしゃらに働いている姿に、私も働いてみたい、こういう人たちと働いたら自分も変われるかもしれないって思ったんです。二月に応募することを決めて履歴書を送って、三月末に退職して、その一週間後には大槌にいました。勢いが無かったらこんな決断はできなかった。人生で一番の決断をしました。だから正直、去年の一年間はギャップに苦しみました。
長濱さん :
元々は高校教師になりたくて、通信制の大学で教員免許を取りながら仕事をしていました。教育実習も一昨年に終え、単位をとりながら教員採用試験に向けて備える予定でしたが、その前にずっと行きたかった東北でボランティア活動がしたいと思ったんです。一ヶ月くらいのつもりでしたが、「みちのく仕事」を見つけて一年以上のプログラムがあると知り、その後、沖縄で開催されたカタリバの代表である今村久美さんの講演会に参加して、カタリバの理念に共感し、応募しようと決意しました。父が教員だったこともあり、教育関係者の姿をずっと見てきて、学校に求められるものは増える一方なのに、学校だけでそれを提供していくのは困難だと感じ、違う立場から学校をサポートしたいと思って就職コーディネーターになりました。でもどうやったら先生とか保護者とか、地域との関わりを作れるのかと、中にいながらもやもやしていたのですが、それを体現していたのがカタリバだったんです。

― 普段こちらで担当している仕事について教えて頂けますか?

須貝さん :
私は運営なので施設管理もそうですが、ここは一般的な塾とは違い、生徒が通学するためにバスで送迎を行っているので、子どもたちがここに来て帰るまでのサポートをしています。例えばバスで30分離れた仮設住宅に住んでいる子もいるんです。あとは全体の経理とか。イメージとしては学校の事務職員です。お客さんが来たときに、入口の小窓から顔を出すような。

― 自分にとってチャレンジだったことは何かありますか?

須貝さん :
前の職場では上司から言われたことに対して100%で応えるのが私の仕事でした。でもここでは、ひとつひとつについて自分が主体になれと言われ、そこに難しさを感じました。自分が主体になってみんなを動かすことを求められたわけですが、全てそうできたわけじゃない。今年やらなければならない課題かなって思っています。
長濱さん :
ここはまだそんなに大きな団体ではないので、子どもたちのためにどんな組織にしていくのがいいのか、実際に手を動かしながら考えることが必要で。そこが自分にとってチャレンジでもあり、楽しさを見出せています。自分たちがつくったものがやがて業務のひとつになって、それが生徒たちの日常をつくっていくっていうのが他では経験できないことですよね。

― 長濱さんの役割はどのようなものでしたか?

長濱さん :
僕は教務なので中学二・三年生に英語を教えていました。他には高校生のマイプロジェクトを担当しました。地域の課題や自分のやりたいことに対して、高校生に何ができるのかを考えて行動していくというプロジェクトで、僕は生徒たちの相談役のような立場でした。直接的なアドバイスは特にせず、生徒たちが地域の大人を巻き込んで、色々な助言をもらったり、協力をしてもらったりしながら進めていました。このプロジェクトに携わり感じたことは、何か行動するということも大切だけど、考えるという過程が力になったなと、彼らの成長ぶりをみて必ずしもアドバイスするのがいいわけではないと分かりました。

― 右腕として過ごしてみてどうでしたか?

須貝さん :
自分の働き方とか生き方についてすごく考えました。右腕として働くことが自分の今後にどう活かされるのか、自問自答の日々でした。この制度が無ければ私がここで働くことはなかったと思うし、きっかけをくれたなと。色んな人に出会うことができ、自分のこれからを考えるためにいい経験になったと感じています。
長濱さん :
ここでの出会いは大きいのかなって思います。色んな地域で、色んな仕事をしていた人が集まって物事を進める上で、同じ方向を見ていることがいかに大事かを学んだ一年でした。自分のキャリアについても考えました。もしかしたら僕が今やっていることを回り道だと捉える人もいるだろうって。僕もはじめは、横道に進みながら自分の土台を固めて先生になったときに生かせればいいかなと思っていました。でも今は、ステップアップの一年だったなって思えて感謝しています。教育についてもそうですが、地域との連携について心底考える機会にもなりました。

― これから右腕になろうという方にアドバイスありますか?

須貝さん :
右腕として、発災から三年が過ぎた被災地で働く中で、自分自身を見失うと辛いと思います。別に何でもいいと思うんです。ここで何かしたい、スキルを身に付けたい、将来これをやりたいからとか、自分の中で揺るがない芯を持って過ごさないと難しいと思います。それを持って働いたら得ることってたくさんあるけど、無かったとしたら、何だったんだろうこの一年ってもったいなく感じてしまうかも知れません。新しい自分を求めて、人生の転換期に右腕に応募してくる方も多いと思うので、その時間を大切にするためにも、自分をしっかり持って挑んでほしいです。
長濱さん :
環境に求めては駄目だと思います。現場に行けばそれで変われるというわけではありません。当事者意識を持って飛び込んで、その場所を変える、そこに順応する。色んな人と繋がっている右腕になれるかは自分次第。巻き込まれながら、巻き込みながら、地域の意志や団体の意志を汲み取って当事者として動いていく。これはどこに行っても必要なことだと思うので、右腕として働くことはキャリア形成の中で価値のあることだと思います。そんなイノベーション精神を持ってきてほしいですし、そういう人と働きたいです。

― 右腕って難しいですよね。この言葉を聞いて具体的に想像できなくて、一歩を踏み出せない人もいると思います。右腕って荷が重い言葉だから、みなさんの声を読むことで心を動かして頂けたらいいですね。

須貝さん :
右腕になる人って、誰かのためにとかこの町のためにと考えると思いますが、まずは自分のやりたいことを大切にしてもらいたいです。偽善だけでは働けないと私は思っています。これがしたいから来たんですって、自分のために右腕として働いてほしい。言っちゃいけないとは思わず、そこを出して、自分自身をしっかり持って右腕として参加するのが大切なのかなと思います。

― 自分にとって「右腕」とは、どんなものだと思いますか?

長濱さん :
右腕とは、一部になること。その組織の、その地域の一部になるっていうのが全てを表していると思います。自分も当事者であることを意識しないと能動的に動けない。それに、地域を知らないと求められていない方向に進んでしまうかもしれないし、組織を分かってないとひとりで突っ走ってしまうかもしれないって思います。
須貝さん :
ある意味、自分の働き方を問う時間だったなと思います。右腕って言葉に自分の考え方とかをぶつけていたなって。私って何が出来ただろうとか、何が出来るのかとか、私の考え方って合っているのかとか、色んなことを自分に問う時間だったと思います。

― ここでの生活で一番印象に残ったことを教えてください。

長濱さん :
地域のお祭りに参加してお神輿を担がせてもらったことが大きかったです。保護者の方々とは普段、電話だったり、ここにいらしたときに子供たちの様子を伝えたりしながらコミュニケーションを重ねていますが、お祭りや運動会など、地域の行事に出た後の距離感がぜんぜん違ったんですよ。地域で生きるって、認めてもらうってこういうことなんだって肌で感じました。町の行事を手伝ったり、みなさんが大切だと思っているところに飛び込むことが関係づくりになる、ということを体感しました。
須貝さん :
子どもたちが勉強する環境を整えるのが私の仕事なので、生徒と接することはほとんどありません。だから、子どもたちにとって自分はどんな存在なのかと考えてしまうこともありました。でも、個人的にすごくうれしかったことがあって。生徒たちに渡した卒業アルバムの最後に、先生たちに寄せ書きをしてもらうページがあったんですが、その真新しい最初のページに、「先生書いて」って持って来てくれた子がいたんです。それが凄く嬉しくて。その子のアルバムにメッセージを書かせてもらったことで、私は事務をしているけどここでは先生なんだなって感じることができました。一年間の最後に、頑張ってきて良かったって思えた時間になり、生徒にとって私も先生でいたい、また今年も頑張ろうって思わせてくれました。

― では最後に、お二人がこちらに来てから一年以上が経過しましたが、今後についてお聞かせいただけますか?

須貝さん :
正直、今後については模索中です。ただ、ここで働くようになってから自分のしたい仕事があればどこでも行きたいと思っています。今までは、絶対に地元か東北って決めつけてしまっていたんですよね。でも、どんな形でも大槌と関わっていけたらいいなと思っています。
長濱さん :
大槌、そして日本の教育、社会課題について「考え、動く」ということを引き続きしていきたいと考えています。そして、コラボ・スクールが「大槌町にとってなくてはならない存在になる」ことの一助になれればと思います。

これまでの経験や現在のポジションは違っても、コラボ・スクールの皆さんが同じ方向を見て進まれていることがよくわかりました。須貝さん、長濱さん、お忙しいなかインタビューにお答えいただきありがとうございました。

聞き手・文:中村真菜美